日本人らしさ

「ダメなことはノーと言えるJapanese」

これは現在放送中の「Wake Up, Girls!」のOPの「7 Girls War」の2番の歌詞である。日本人は嫌な事はなかなかNOとは言えず場の流れに身を任せるという潜在的意識があると言う事は誰しもが感じている共通認識であろう。

 日本人は古来より自己表現を抑制することは美しい事、譲渡は美徳であり、己を主張しない事が集団生活の中で生きて行く術だとそのような文化が根づいている人種なのである。このような日本人の特性は「遠慮の精神」の元に動く相手の事を考えた潜在的行動なのであろう。

 この考え方は日本人特有の良い部分でもあり悪い部分であると思っているが、自己主張をしないで流れに身を任す「空気を読む」という気持ちなの現れなのであろう。例え自分で導いた答えが周囲と違っても己を抑制し場に合わせることで集団意識が生まれ場が一体となるという経験は誰にでもあるのではないだろうか。ここで「いや、それは違う」と一矢報いると集団意識の中から自己主張者が出て来て異端な者だと思われる。それが「悪」として見られる文化が日本特有の文化なのである。

 上記の歌詞のような断りをし辛いのも日本人の特徴であると思うが、この空気を読む、通称KYと呼ばれる異端的行動をする者は部外者、異端者として扱われ周りに合わせて行動できる者が上手く生きて行く術なのだと近頃は感じる。所謂、社会が求めるコミュニケーション能力という物だと思うがこの考え方は周囲に合わせる事はできるが自ら発言をしたり出たがるのは苦手な人は多いだろう。

 話が少し飛躍したが、控えめで慎み深く周りに合わせられる遠まわしに伝える間接表現は全部を言わない、つまり表現を控えるという事である。日本人は直接言う事や指摘するという事は美徳がなく非礼であると考える事ができる人種なのである。

 

この日本人らしさというのは間接表現の他にも「遠慮」の精神に通じてもいる。

 例えば、居酒屋などで4人で来店し席に着く。ここでまずメニューをどうするか周りに尋ねる、最初の1杯は決まってビールという風潮があるようにスタートから日本人らしさという物が垣間見れる。そして料理が提供されたら取皿に分けるなどもこの日本人の美徳に通ずる物であるのだろう。そしてメニューのから揚げが運ばれて来て1人1つずつ摘む。から揚げは5個入りの仕様で1つ余ってしまった。しかしここで誰もそのから揚げを取らず大きなお皿に悠々と佇むから揚げ1つ。その行方を誰も導こうとはせずに刻々と時間だけが過ぎて行く…。

 徐々に冷めて行くから揚げ…。「誰が最後の1個を食べるんだ…?」という猜疑心が渦巻き、自分が食べたらまるで食いしんぼう「あっ、この人もっとから揚げを食べたいんだな」というまるで自分が"卑しい"ようなレッテルを貼られてしまう危険性を含んでいてなかなか1歩を踏み出せない者も現れフィールドは一層疑心暗鬼を持ち荒れて行く…。

 残されたから揚げは生前は大空を羽ばたき自由に生きていた一匹の鳥。その自由を奪い灼熱の油に入れられ人間のエネルギーになるように姿を変えられる。最後の最後くらい自由に大空を駆け廻りたい…!そんな気持ちで広大なお皿の上で佇む孤独なから揚げ。せめて最後くらい幸せに…。

 そしてチャンスが訪れるのは店員さんの来訪である。「空いているグラスやお皿片付けます」この決戦の果たし状の一言で火蓋が落とされる。この瞬間にお皿の配置からフィールドを片づける事に徹する者、空きそうな食器を片す者、ここぞとばかりにから揚げを狙いに行く者。そしてから揚げの行方は…!

 

 

 

 

続きは特にないです。

誰かから揚げ食べに行きましょう。おわり。

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